2005年 01月 30日
アメリカ社会での自信の重要性。 |
ますます物事が自分の思い通りにいかなくなってきた。
それ故、これでこのブログに書くネタも増えてくるから、ある意味嬉しい限りである。
それと、このブログを見ている人の中に人の不幸を見て喜ぶ人がいれば、この文章を見る価値があると思うし、そういう人が「私よりは上だ」と自分に自信を持っていただければ、私としては嬉しい。(私の文章が他人に自信を与えたという意味で・・・)
ということで、来週からインターンをやりたかったのですが、それが不可能になったのでります。(参照今日も魂消たよ。今日はアメリカの会社に・・・)
今日、アメリカの2つの会社でインターンシップの面接を受けた。一つはアートの会社。もう一つはコンサルタント会社。
業界だけで判断すれば全然共通点はない二つの会社だけど、分析、調査、レポートを両社でやらせてもらえる点では同じだったし、ジャーナリストになる上での必要なスキルだと思っている「一隻眼」を、前者では芸術を通して、後者では市場を通して、手に入れることができると思った。それが志望動機。
結果から言えば1勝1敗。いや1敗としておこう。
というのはアートの会社は「誰でもOK先着順」というような感じであったし、実際、プロジェクトや書く仕事よりも私に与えられる仕事は「雑用」が多いということだった。だから断った。
もう一つのコンサルタントの方は、拒否された。面接後、面接官から「夕方までに電話をする」と言われたが、電話はならなかった。(現在夜中の12時)だから落ちたのだろう。
そこで、何がダメなのか分析するためにアメリカ人の経営コンサルタントの友人に模擬面接をしてもらった。
その結果、アメリカ社会、特にビジネスの世界では謙虚な姿勢は嫌われ、相手に不安をさせることを指摘された。
面接中も、「??できますか?」という質問に対して、「今はわからないので勉強します。」という答え方を、私はよくする。その??を少し知っていても、そう答えるようにしている。どうせすぐバレルだろうから。
日本ではそれで正しいのだろう。
ニューヨークで出会った、其日本企業の駐在員も、「自信を持っている奴より、謙虚な奴を採用するし、入社後も後者の方が断然伸びる」と言っている。
でもアメリカでは、自信を持って「できる」というべき。「モノは言い様」で全ての質問に対し自信を持ってポジティブに答える。そして、自分の言ったことで全てが判断される。それは「ウソ」が入っていてもいい、らしい。そして、アメリカのどの企業でも聞かれる最重要質問「あなたはこの会社に対して何ができるのか?」、これにまともに自信を持って答えられない人はインターンであろうとバイトであろうと、雇われない。それと自信がない奴も採らない。ということを、模擬面接をしてもらった友人から教わった。
勿論、それらのことは、知識として知っていたけど、実際に身を持って体験するまで「わからなかった」。
そこでひっかかるのが「自信を持つこと」と「謙虚に振舞う」この相反する両国の好み。アメリカでは、彼女をつくる際も「自信を持っている人」は逆より断然有利。
さらに言えば、アメリカ人の特徴として、自分の過ちを認める表現「ごめんなさい」をなかなか言わない。そして、自分の意見ははっきり言う、真中はない、YesかNo。これができないとアメリカでは「自信がない人」とみなされる。それに対し、日本人は逆が好まれる。
だから、これらの両国の相反する振る舞いを使い分けることで自己矛盾に陥るような気がする。
ただ・・・、雑誌で読んだことを引用すると、「自分のスタイルを崩してでも、仕掛けていく。自分の殻を破らなければ、次のレベルに進めない。10年計画でやっているわけじゃない、ちょっとぐらいスタイルが壊れても成長させていかなければいけない。」
これからは、根拠があるないに関わらず自信がある振りをする、自信が持てても「さらに改良する」(以前は自信がないから努力)。考えるスピードを倍にしYes、Noを瞬時に答えられるようにする。曖昧な表現は使わない。
以前とは逆のスタンスで勝負してみる。
それ故、これでこのブログに書くネタも増えてくるから、ある意味嬉しい限りである。
それと、このブログを見ている人の中に人の不幸を見て喜ぶ人がいれば、この文章を見る価値があると思うし、そういう人が「私よりは上だ」と自分に自信を持っていただければ、私としては嬉しい。(私の文章が他人に自信を与えたという意味で・・・)
ということで、来週からインターンをやりたかったのですが、それが不可能になったのでります。(参照今日も魂消たよ。今日はアメリカの会社に・・・)
今日、アメリカの2つの会社でインターンシップの面接を受けた。一つはアートの会社。もう一つはコンサルタント会社。
業界だけで判断すれば全然共通点はない二つの会社だけど、分析、調査、レポートを両社でやらせてもらえる点では同じだったし、ジャーナリストになる上での必要なスキルだと思っている「一隻眼」を、前者では芸術を通して、後者では市場を通して、手に入れることができると思った。それが志望動機。
結果から言えば1勝1敗。いや1敗としておこう。
というのはアートの会社は「誰でもOK先着順」というような感じであったし、実際、プロジェクトや書く仕事よりも私に与えられる仕事は「雑用」が多いということだった。だから断った。
もう一つのコンサルタントの方は、拒否された。面接後、面接官から「夕方までに電話をする」と言われたが、電話はならなかった。(現在夜中の12時)だから落ちたのだろう。
そこで、何がダメなのか分析するためにアメリカ人の経営コンサルタントの友人に模擬面接をしてもらった。
その結果、アメリカ社会、特にビジネスの世界では謙虚な姿勢は嫌われ、相手に不安をさせることを指摘された。
面接中も、「??できますか?」という質問に対して、「今はわからないので勉強します。」という答え方を、私はよくする。その??を少し知っていても、そう答えるようにしている。どうせすぐバレルだろうから。
日本ではそれで正しいのだろう。
ニューヨークで出会った、其日本企業の駐在員も、「自信を持っている奴より、謙虚な奴を採用するし、入社後も後者の方が断然伸びる」と言っている。
でもアメリカでは、自信を持って「できる」というべき。「モノは言い様」で全ての質問に対し自信を持ってポジティブに答える。そして、自分の言ったことで全てが判断される。それは「ウソ」が入っていてもいい、らしい。そして、アメリカのどの企業でも聞かれる最重要質問「あなたはこの会社に対して何ができるのか?」、これにまともに自信を持って答えられない人はインターンであろうとバイトであろうと、雇われない。それと自信がない奴も採らない。ということを、模擬面接をしてもらった友人から教わった。
勿論、それらのことは、知識として知っていたけど、実際に身を持って体験するまで「わからなかった」。
そこでひっかかるのが「自信を持つこと」と「謙虚に振舞う」この相反する両国の好み。アメリカでは、彼女をつくる際も「自信を持っている人」は逆より断然有利。
さらに言えば、アメリカ人の特徴として、自分の過ちを認める表現「ごめんなさい」をなかなか言わない。そして、自分の意見ははっきり言う、真中はない、YesかNo。これができないとアメリカでは「自信がない人」とみなされる。それに対し、日本人は逆が好まれる。
だから、これらの両国の相反する振る舞いを使い分けることで自己矛盾に陥るような気がする。
ただ・・・、雑誌で読んだことを引用すると、「自分のスタイルを崩してでも、仕掛けていく。自分の殻を破らなければ、次のレベルに進めない。10年計画でやっているわけじゃない、ちょっとぐらいスタイルが壊れても成長させていかなければいけない。」
これからは、根拠があるないに関わらず自信がある振りをする、自信が持てても「さらに改良する」(以前は自信がないから努力)。考えるスピードを倍にしYes、Noを瞬時に答えられるようにする。曖昧な表現は使わない。
以前とは逆のスタンスで勝負してみる。
by nanuyoshinida
| 2005-01-30 03:21