2005年 06月 25日
日本語から英語、英語から日本語。 |
早いもので去年の3月に渡米して、1年以上アメリカにいるわけだが・・・
今日で、今後一生行くことがないと思われるESLの授業が終わり、来週から大学のサマークラスが始まる。
そこで、「英語」という観点で「自分」を振り返ってみることに。
まず、May I help you? (いらっしゃいませ)
このフレーズは店員が客に言うセリフである。
それをよくわかっていなかったのか、俺がどうかしてたのか知らないが、俺が店員に May I help you? と声をかけた こと。
そして郵便局で、封筒に住所、名前をどこに書いたらいいかチンプンカンプンだったため、助けを求める。
そして俺が店員に言った英語は
俺:Excuse me, can I answer my question?
(すいません、俺って俺の質問に答えることできるの?)
これはコミニケーションではなく、自問自答である。
という俺のチンプンカンプンな英語を挙げればキリがないのでありますが、一番厄介なのがこれ。
Didn’t you sleep last night? (昨日あんた寝てないねんな?)
Aren’t you tired? (疲れてへんの?)
という質問に対し、
俺はその日徹夜明けだったため、
俺:Yes, I didn’t sleep last night so I’m tired. (せやで、おれ寝てへんし疲れててんねや。)
これが支離滅裂な英語であることに気付くのに半年以上かかりました。
正解は、その日俺は寝ていなかったので、No, I didn’t so I’m tired. と答えないかんのだが・・・
それに気付くまで、俺はアメリカ人のことを
「なんでこの人らアメリカ人やのに英語間違えてんにゃろ」
と、本気で思ってましたからね~、その自信はどこからきてるのかといいますと、
日本語をそのまま訳したモノが英語であるという、「思い込み」。
今もそうかもしれないが、その頃はもっと頭が固かったんでしょう。
つまり、「~してへんの?」という質問に対し日本語では「うん、してへん」or 「いいや、したよ」と答えるが、英語ではそれが不可能。
英語では「いいや、してへん」=「うん、してへん」(日本語)、と言うか、「うん、したよ。」=「いいや、したよ」(日本語)と答えにゃあいかん。
それに気付いてから、日本語と英語を別物として考えるられるようになってきたように思う。
それまで、頑なに拒否していた、アメリカ人の話聞いている時に「Aha~, Aha~」と唸るのも、やり始めたような気がする。
ちなみにその前までは、俺は日本語、英語関係なく、人の話し聞くとき「ウン、ウン」、言っていた。
つまるところ、この2つの言語を喋る時は、文法からして全然違うんだから、思考ルーチンも変えなきゃいけない。
だから英語と日本語を喋っている時とを比べると、自然とオーラや雰囲気が違ってくるのが当然だと思うし、そうなるべきだと思う。
アメリカに来た当初にそんな日本人を見て、「キモイ」と皮肉り、拒否反応を起こしていた俺であるが、今考えたら「キモイ」のは、「キモイ」と皮肉った俺自身のような気がして、自分で自分の「キモイ過去」に拒否反応を起こしています。
原理主義とは怖いものですね。
今日で、今後一生行くことがないと思われるESLの授業が終わり、来週から大学のサマークラスが始まる。
そこで、「英語」という観点で「自分」を振り返ってみることに。
まず、May I help you? (いらっしゃいませ)
このフレーズは店員が客に言うセリフである。
それをよくわかっていなかったのか、俺がどうかしてたのか知らないが、俺が店員に May I help you? と声をかけた こと。
そして郵便局で、封筒に住所、名前をどこに書いたらいいかチンプンカンプンだったため、助けを求める。
そして俺が店員に言った英語は
俺:Excuse me, can I answer my question?
(すいません、俺って俺の質問に答えることできるの?)
これはコミニケーションではなく、自問自答である。
という俺のチンプンカンプンな英語を挙げればキリがないのでありますが、一番厄介なのがこれ。
Didn’t you sleep last night? (昨日あんた寝てないねんな?)
Aren’t you tired? (疲れてへんの?)
という質問に対し、
俺はその日徹夜明けだったため、
俺:Yes, I didn’t sleep last night so I’m tired. (せやで、おれ寝てへんし疲れててんねや。)
これが支離滅裂な英語であることに気付くのに半年以上かかりました。
正解は、その日俺は寝ていなかったので、No, I didn’t so I’m tired. と答えないかんのだが・・・
それに気付くまで、俺はアメリカ人のことを
「なんでこの人らアメリカ人やのに英語間違えてんにゃろ」
と、本気で思ってましたからね~、その自信はどこからきてるのかといいますと、
日本語をそのまま訳したモノが英語であるという、「思い込み」。
今もそうかもしれないが、その頃はもっと頭が固かったんでしょう。
つまり、「~してへんの?」という質問に対し日本語では「うん、してへん」or 「いいや、したよ」と答えるが、英語ではそれが不可能。
英語では「いいや、してへん」=「うん、してへん」(日本語)、と言うか、「うん、したよ。」=「いいや、したよ」(日本語)と答えにゃあいかん。
それに気付いてから、日本語と英語を別物として考えるられるようになってきたように思う。
それまで、頑なに拒否していた、アメリカ人の話聞いている時に「Aha~, Aha~」と唸るのも、やり始めたような気がする。
ちなみにその前までは、俺は日本語、英語関係なく、人の話し聞くとき「ウン、ウン」、言っていた。
つまるところ、この2つの言語を喋る時は、文法からして全然違うんだから、思考ルーチンも変えなきゃいけない。
だから英語と日本語を喋っている時とを比べると、自然とオーラや雰囲気が違ってくるのが当然だと思うし、そうなるべきだと思う。
アメリカに来た当初にそんな日本人を見て、「キモイ」と皮肉り、拒否反応を起こしていた俺であるが、今考えたら「キモイ」のは、「キモイ」と皮肉った俺自身のような気がして、自分で自分の「キモイ過去」に拒否反応を起こしています。
原理主義とは怖いものですね。
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by nanuyoshinida
| 2005-06-25 23:13
| NYで勉強するってどうよ?