2005年 01月 24日
育った環境の壁 |
留学生であれば、「日本語であればちゃんと説明できるのに・・・」と、頭を抱えた経験は多かれ少なかれあるはず。
一年近くアメリカにいても未だにそう思うことがよくある。
これが言葉の壁とするならば、日本で当たり前のことが通じないとか、考え方を理解できないというのは、「育った環境の壁」といえるのでは?
こんなことを書くのは、アメリカでは「お客様は神様である」は通用しないと理屈ではわかっているけど、未だに店で待たされたり、店員に命令されたりすると、違和感を憶えるから。ひどい時にはキレそうになる。なぜなら無意識のうちに頭の中で「お客さん>店員」の構図が出来ているから。
というのは、携帯電話が壊れて、カスタマーサービスセンターに「お忙しい中わざわざ行った」のに、「オレさまの携帯電話」の故障を他の店員と楽しく雑談しながら探す店員の態度、その最中に友人からの電話に平気でとる「失礼極まりない行為」が私の堪忍袋の尾を刺激した。
そして、何とか直ったらしい。終わりよければ全てよし、と言いたいところだったが、「オレさまの携帯電話」は壊れたままだった。
数分後、その店に戻り、「二度もお越しになったお客様」に「本社のほうに電話しろ」と店員は命令してきた。
ここでキレた。
その態度と、直ったと言ったにも関わらず、直っていない「いい加減さ」にキレた。
「おまえが電話しろ、そして問題を解決しろ。俺は電話をこの携帯電話以外に持っていないから電話できない。俺は忙しいから早くしろ。」
そしたら
「じゃあ誰か友達に借りて電話して」
さらにキレて
「筋が通ってない、俺に落ち度があって、俺が電話するのはわかるが、今回の件はおまえがちゃんと修理しなかったから電話するんだろう?だからおまえが電話して原因を見つけ出せ。早くしろ」
ここで、店員は本社に電話して「ようやく」問題を解決した。
言うまでもなく、もとからでかい声がさらにでかくなったこともあり、他の客や店員は私を凝視していた。
アメリカでこんな見苦しい店員と客の言い争いは見たことがない。だからアメリカ人にとっては、物珍しい光景だったのだろう。
まあいい。俺に落ち度はないと自信があったから、恥ずかしくも何ともなかった。
でも、俺って相変わらずだな・・・と思った。
というのも、今回の件はアメリカの常識に適応できていない証拠だから。もともとアメリカ人になるつもりはないけど、「所詮、俺は外人」なんだから、もう少し彼らに対し謙虚になれたらいいのにな・・・と思わないでもない。
でも仕方ないか。クリスチャンが、カトリックやムスリムになることが不可能なのと同じように、日本式がアメリカ式になるのも不可能である。もしなったとしてもロクなことが起こらないような気がする。
例えば、今回の件で、もし俺が店員の態度に何とも思わないのなら、友人に対しても同じ事(俺が今日店員にされたこと)をするようになるかもしれないから。そんな人間にはなりたくない。
店員に態度を変えてもらおうとは思わない(もう済んだことだから)けど、なるべく店員とは関わらないように、これから努力するだろう。
これからも、アメリカ式のいいと思うところだけ、吸収しようと思う。
一年近くアメリカにいても未だにそう思うことがよくある。
これが言葉の壁とするならば、日本で当たり前のことが通じないとか、考え方を理解できないというのは、「育った環境の壁」といえるのでは?
こんなことを書くのは、アメリカでは「お客様は神様である」は通用しないと理屈ではわかっているけど、未だに店で待たされたり、店員に命令されたりすると、違和感を憶えるから。ひどい時にはキレそうになる。なぜなら無意識のうちに頭の中で「お客さん>店員」の構図が出来ているから。
というのは、携帯電話が壊れて、カスタマーサービスセンターに「お忙しい中わざわざ行った」のに、「オレさまの携帯電話」の故障を他の店員と楽しく雑談しながら探す店員の態度、その最中に友人からの電話に平気でとる「失礼極まりない行為」が私の堪忍袋の尾を刺激した。
そして、何とか直ったらしい。終わりよければ全てよし、と言いたいところだったが、「オレさまの携帯電話」は壊れたままだった。
数分後、その店に戻り、「二度もお越しになったお客様」に「本社のほうに電話しろ」と店員は命令してきた。
ここでキレた。
その態度と、直ったと言ったにも関わらず、直っていない「いい加減さ」にキレた。
「おまえが電話しろ、そして問題を解決しろ。俺は電話をこの携帯電話以外に持っていないから電話できない。俺は忙しいから早くしろ。」
そしたら
「じゃあ誰か友達に借りて電話して」
さらにキレて
「筋が通ってない、俺に落ち度があって、俺が電話するのはわかるが、今回の件はおまえがちゃんと修理しなかったから電話するんだろう?だからおまえが電話して原因を見つけ出せ。早くしろ」
ここで、店員は本社に電話して「ようやく」問題を解決した。
言うまでもなく、もとからでかい声がさらにでかくなったこともあり、他の客や店員は私を凝視していた。
アメリカでこんな見苦しい店員と客の言い争いは見たことがない。だからアメリカ人にとっては、物珍しい光景だったのだろう。
まあいい。俺に落ち度はないと自信があったから、恥ずかしくも何ともなかった。
でも、俺って相変わらずだな・・・と思った。
というのも、今回の件はアメリカの常識に適応できていない証拠だから。もともとアメリカ人になるつもりはないけど、「所詮、俺は外人」なんだから、もう少し彼らに対し謙虚になれたらいいのにな・・・と思わないでもない。
でも仕方ないか。クリスチャンが、カトリックやムスリムになることが不可能なのと同じように、日本式がアメリカ式になるのも不可能である。もしなったとしてもロクなことが起こらないような気がする。
例えば、今回の件で、もし俺が店員の態度に何とも思わないのなら、友人に対しても同じ事(俺が今日店員にされたこと)をするようになるかもしれないから。そんな人間にはなりたくない。
店員に態度を変えてもらおうとは思わない(もう済んだことだから)けど、なるべく店員とは関わらないように、これから努力するだろう。
これからも、アメリカ式のいいと思うところだけ、吸収しようと思う。
by nanuyoshinida
| 2005-01-24 02:05